『博士の愛した数式』を読んだ感想のようなもの
つい先日、『博士の愛した数式』を読了しました。映画の方は何年も前に見ていたのですが、原作に触れるのは今回が初めてでした。
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小川洋子さんの文章は、なんといいますか、育ちと品の良さが伝わるような文章だと感じます。『薬指の標本』を読んだ時にも感じた、物静かで洗練された美しい文章です。
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こちらもフランスで映画化されているそうですね。みっ、観たい……!!
映画化でバッシングされてしまうような作品は数多くありますよね。原作にこんなシーンなんてなかった、というようなオリジナルシーンの追加などなど。
私はそのような原作と違うシーンを見て、そこにどのような意味が込められているのか考える(あるいは妄想する)ことが結構好きだったりします。たとえば、『容疑者xの献身』の雪山のシーンとか。視界の悪い雪山の中、口封じの為に湯浅が石神に殺されるかという緊張感を残しながら、石神が湯浅の手を引いて雪山に登るのは、二人の友情が確かにそこにあるという象徴のようで好きです。
さて、『博士の愛した数式』の話に戻ります。まずはあらすじ紹介。
家政婦紹介組合から『私』が派遣された先は、80分しか記憶が持たない元数学者「博士」の家だった。こよなく数学を愛し、他に全く興味を示さない博士に、「私」は少なからず困惑する。ある日、「私」に10歳の息子がいることを知った博士は、幼い子供が独りぼっちで母親の帰りを待っていることに居たたまれなくなり、次の日からは息子を連れてくるようにと言う。次の日連れてきた「私」の息子の頭を撫でながら、博士は彼を「ルート」と名付け、その日から3人の日々は温かさに満ちたものに変わってゆく。(wikipediaより)
wikiから引っ張ってきたあらすじで申し訳ないですが、有名な作品なのでご存知の方も多いかと思われる一冊です。
元数学者の博士による数学の定理や数式の解説の美しさは、まるでピアノで旋律が奏でられているようなものです。しん、と静まり返っている中、変わらずそこにある、という暗い森の中にさす一筋の木漏れ日のような温かさのある安心感。
主要な5教科の中で数学が最も苦手だったのですが、博士や「私」、そしてルートによって紡がれていく数字という絆には、私が中高時代におそれていた数学の孤高さや傲慢さはありませんでした。
未読の方にはネタバレです↓
博士はある懸賞の掛けられた数学の問題を解きました。「私」は息子のルートとともにそれを祝おうとするのですが、博士は乗り気ではありません。どうしてもお祝いをしたい「私」は「もうすぐルートが11歳の誕生日なので、そのお祝いと一緒に博士も祝いましょう」と提案します。ルートを可愛がっている博士はそれならといってルートの誕生日にお祝いのケーキを用意してもらいます。
おそらく、このシーンは映画にもあったと思います。(ただしルートの誕生日は秋から春へと変更されています)
映画では何事もなくこの日を迎えるのですが、原作では上手く事が運びません。
ケーキ屋さんがルートのためのろうそくをつけ忘れてしまいます。ルート本人はろうそくなどなくても大丈夫だと言うのですが、博士はかたくなにろうそくがなくてはお祝いのためのケーキが完成されないと言います。仕方がないのでルートがろうそくをもらいに行くのですが、なかなかルートは帰ってきません。事故にあったのではないか心配する博士のために「私」はルートを探しに行きます。すると「私」は帰ってきたルートにばったり会います。ケーキを買ったお店がすでに閉店しており、少し離れた別のケーキ屋さんまでろうそくをもらいに行っていたため帰りが遅くなったというのです。
「私」とルートは心配する博士の元へと帰ります。博士とルート、二人のお祝いをするために。
しかし、悲劇は起こってしまいます。
もうすぐ帰ってくるルートのために、博士はケーキを箱から出してお皿に用意しようとしました。帰宅した「私」とルートが見たものは、無残にもお皿の上でぐしゃりと崩れたホールケーキと、「こんなはずじゃなかったんだ……」と呆然自失した博士の姿でした――。
このシーンを読んだ時、言い表せないほど胸が痛みました。誰かの為を思ってしたことが裏目に出てしまう惨めさ、悲しさ。小川さんは、このような生きていくうえで起こり得る切ない痛みを描くことがお上手です。
映画で何故このシーンを削ってしまったのか、と言いたくなりますが、あの痛みを残したまま春の柔らかな雰囲気で最後までまとめ上げることはできないとも思うので、このシーンを切ったことは英断であるような気もします。
『博士の愛した数式』を読んだ方に、併せて読んでいただきたい本があります。
『博士の愛した数式』には、様々な定理や数式が登場します。友愛数や完全数。数学が嫌いな私にはちんぷんかんぷんな単語ですが、どこか文学的な響きもあります。だって、「『友』のように『愛』しあっている」数ですよ?素敵な名前です。
小川さんは、この作品を書くにあたって参考書を読んだり取材を行っています。そのうちの1人である藤原正彦さんと『世にも美しい数学入門』という対談式の共著を出版しています。
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とにかく分かりやすい。今までよく分かっていなかった公式の理屈も、なーんだ、そういうことだったのか、と言いたくなります。
お二方の対談の中で、数学や文学は実用性がない、しかし遠い未来で何かの役に立つという旨のお話がありました。
文学を専攻している者として、この言葉はもっと世に知られて欲しいです。今、巷では大学で文系廃止などの話題があります。文学を勉強してもすぐに使えるわけでもなく、将来的にも実用性がないと考えられるからでしょう。
確かに、世の中の人が理系ばかりになれば機械やインターネットなどの文化が飛躍的に成長するかもしれません。しかし文学は必ず役に立ちます。いつとは断言できません。それは深く落ち込んだ時かもしれないですし、なにか大きな成功を手につかんだ時かもしれません。文学がなければ、人生は味気ないものになるのではないでしょうか。
なにはともあれ、『博士の愛した数式』は、数学に挑戦したくなる気持ちを高めてくれる小説でした。